“音が物体に当たって生じるごく僅かな揺らぎを解析することにより、 「防音ガラス越しの4.5m先にあるポテトチップの袋の映像から、室内の会話内容を復元」する実験に成功”
— 映像だけから音を復元するビジュアルマイク技術。防音ガラス越しのポテチ袋から会話を再現 - Engadget Japanese (via pudknocker)
すべてのデザイナーがというわけではないのだろうけども、どうもデザイナー達を見ているとみんな文書を作るのがとても苦手。彼ら彼女らの様子を見ていると、とりわけ次の3点にとても苦労している様なのです。
1.頭の中のモヤモヤを上手く言語化できない
2.表現に適切な語句が見つけられない
3.抽象化したり細分化して物事を思考できない1〜3は大体繋がっていて会議の中であれこれ意見を求めてみると、ウー。。と唸ったまま言葉にして出力するだけで一仕事、そしてでてきた言葉も本質を突いているというわけでもなく、議論を発散して集約していきたいんだけどもそれがまた難しい様子で、自分が考えていた以上に文書にして資料を作るということがデザイナーにとっては難しいことなのかと大変驚いてしまいました。
“音が物体に当たって生じるごく僅かな揺らぎを解析することにより、 「防音ガラス越しの4.5m先にあるポテトチップの袋の映像から、室内の会話内容を復元」する実験に成功”
— 映像だけから音を復元するビジュアルマイク技術。防音ガラス越しのポテチ袋から会話を再現 - Engadget Japanese (via pudknocker)
そういえば心理学で習ったんだけど、
「相手に酷いことが言えるということは、
その人に依存してるということ」らしいです。
イケイケの「オレIPOしますよ。見ててください!」という、若者が、その後、モデルの彼女と付き合い、カッコイイスポーツカーを運転し、インテリジェントビルににオフィスを構え、プレスで堂々と会見し、日本のザッカーバーグと自分で言っていたベンチャーの社長が、
1年後に、オレと一緒に東京地裁の民事20部でパイプ椅子に並んでマイクで呼び出されるのを待つという構図は何度となく見てきた。
「言わなくてもわかるでしょ。」ってのは極めて日本固有の考え方だと思います。中学で日本に来た時に一番戸惑いました。僕はフランスからの帰国ですが、かの国では「相手の考えを勝手に類推してはいけない」ということを厳しく言われました。
Twitter / JosephYoiko (via valvallow)
それは一般的なのかしら。欧米人と仕事をしていて「彼/彼女の考えを代弁することはできないが私の個人的な想像で考えると…」みたいな前置きで話すことはしばしばあって、つまり他人の意見を勝手に代弁するのは駄目だけど想像まで駄目と言われると仕事もできないのでは。
(via yoosee)
“大抵の人間は「最後まで書く」ができない(それどころか、最初の一行すら書けない)。なぜか。書いても駄作しか書けないから。書いても書いてもゴミしかかけない。ゴミを生み出すことに膨大な労力を費やす。それを乗り越えて、そのゴミを最後まで作りきる。これがまず第一歩。”
そのようなわけで、現代音楽がつまらなくなって久しい。今日の豊かなライフスタイル自体の提供している情報レベルに比べて、現代音楽作品の提供するそれはあまりにも貧弱で、喜びの感情を誘発しなくなっている。感動にいたっては、全く絶望的だ。こうなってしまった原因はさまざまであるが、テクノロジーとアートのあり方の落差も、その原因のひとつであろう。
現代のテクノロジーは圧倒的である。たとえば、巨大な資本と人知が投下されて作られた最近の映画や都市空間は、コンサートホールでの「現代音楽」の表現を無効にしてしまうほどの力をもっている。そのような事態を目の当たりにしたとき、現代のアーティストはテクノロジーとどう向き合って行くのかが問われることになる。これは、ピアノをもっと練習すればうまくなるといった次元をはるかに越えた問題なのである。筆者は、これからの音楽家はテクノロジーを自在に使いこなし、都市を含めわたしたちの生活空間自体を豊かにアート・デザインしていくことが求められてると思う。椅子に縛り付けられて、つまらない音楽を聴かされるようなコンサート空間からは、いずれ聴衆は去って行くだろう。
振り返ってみれば、芸術家の自己表現は近代的な自我の打ち上げる喜びの花火であった。そこでは傑出した個人の才能がすべてであり、平凡なものには価値が与えられることはない。したがって、自己表現の芸術の伝統からは、独創、前衛、天才、芸術至上主義などが生まれ、創造神の現前としてパワーに輝くアーティストが次つぎと誕生し、「天才=狂気」神話が定着した。近代以降現在まで、芸術音楽の世界のさまざまな様式やスタイルを通呈するのは、基本的にこの単一方向にバイアスされた価値指標であり、この価値にとどまるかぎりにおいて芸術が補償された。だが、数百年にわたる独創性の追求の結果、いまや個人的な自己表現という方法自体がクリシェ化し、つまらないものしか生み出されなくなってしまった。
したがって問題は、豊穣を回復する視点をもつことである。
岩竹徹 “コンピュータミュージック (新コンピュータサイエンス講座)” 1994 より
http://www.amazon.co.jp/dp/4274129608
(via yuichirock) (via shokai)
(via yuiseki)
(via yasaiitame, yasaiitame)

